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Memento mori


メメント・モリ。終わる明日の為に、ボク達が今日生きた其の証を遺すのだ。詠おう、全ての儚きモノの唄を。刻もう、ボク達のエピタフを。初見の方は自我カテゴリへ。御便りはApocrypha☆hotmail.co.jpへ♪(☆を@に)
by rosa_del_ciel
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時間。

※1/28午後 少し追記アリ

現代科学の粋を集めた原子時計でも、3000年に1秒程度の誤差があると言います。
完全に等速な客観的時間とは理論の上でしか存在せず観測する事は不可能なのです。
ですが、此の場においては、腕時計や時報等も客観的時間に分類しましょう。
さて。現実にわたし達が独力で見る時間の流れとは常に主観的なものです。
其の速度は、観測する個々人によって全て異なります。
又同じ人物であっても、幼年期と老年期では違って来ますし
楽しい時と苦しい時でも変わりますね。
其れは主観的時間の尺度が、其の観測者の記憶や経験に基づいている為
5歳児にとっての1日と、80年行きた人物の1日では
彼彼女の人生における重みが違う為です。
又、余命数カ月の宣告を受けた個体と、全く以て健康な個体では
一日の重みと云うのは全然変わって来るのでしょうね。
勿論、突発的事故等の要因により
後者の寿命の方が前者より早くなる可能性はありますし
勿論、ある程度の知性を持った人物ならば、其の事は頭の何処かにあって然りなのですが。
話を戻して、前述の観測者の感情によっても変わると云う事を説明します。
其の時観測者の置かれている状況に対して、彼彼女が願望を持って仕舞う為です。
"此の楽しい時がずっと続けば良いのに"とか
"もう此の苦行は厭、もう沢山"とか
そんな感情のフィルタァをかけて仕舞うと
主観的時間と客観的時間の間の誤差は肥大化しますね。
時間とは常に等速で公平な物でありながら
其の一方でとても不確定で伸縮自在な物なのです。
まるで粒であり波でもある、光の如く。

先程、寿命について言いましたね。
其の個体の寿命が残り1秒でも100年でも、其れは変わらない余生な訳です。
だとすると、客観的時間の下では比べ物にならない余生であっても
彼彼女の主観的時間においては其れ程の差異は無いのかも知れません。
最期の瞬間に走馬灯が見える、周囲がスロゥモォションになる等と良く言われるのは
自分の生の終わりを意識した思考がクロックアップ(此の言い方良いですね)して
主観的時間の進みが非常に遅くなると云う事なのでしょうか。

難しい事を論じてる様で其の実、凄く当たり前の事なのですが
少し書き遺しておきたくなったので。

"時間がない"なんて戯言は大抵唯の言い訳に過ぎないのです。
時間の経過する速さなんて気の持ち様で幾らでも変わるのですから。
そんな事を嘆いて更に時間を浪費する暇が在ったら一心不乱に務めを果たしましょう。
其の方が余程有意義です。
こんな上から目線の駄文を垂れ流してる暇があったら。…頑張ります。。
by rosa_del_ciel | 2010-01-28 03:57 | 随筆。